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新ブランダイス運動は、ポピュリスト-Hovenkamp先生の「運動反トラスト」対「テクニカル反トラスト」の整理

反トラスト法の教科書というと、手元には、Hovenkamp先生「アメリカ反トラストポリシー」という本があります。

新ブランダイス運動(NeoBrandeis Movement)について、いろいろい書いてきたのをひとつまとめようというときに、Hovenkamp先生の見解でまとめておくのは、賢明かなと思うので、検討してメモしたいと思います。(いままで活動と訳してましたけど、運動にします)

まずは、このブログの新ブランダイス運動関係です。そもそもは、

カーンFTC委員長は、トリックスターか、学者か?-「アマゾンの反トラストのパラドックス」を読む。

から始まりました。私からするとなぜに、この論文が高評価なのか、というのがわからなかったというのが正直なところです。反トラスト法の学説史あげて、大きいことは悪いことじゃないの?的な感じで、昔の説に脚光を当てているようにしか読めませんでした。確かに昔の説に光を当てると、現在の社会の問題の解決になりうることがあることは否定しません。しかしながら、現代経済学を取り入れると、実は昔の解釈のほうが合理的でしたという話がいくのであれば、別ですが、そのような考察もありません。ということで?な感じでみていたのですが、FTC の委員長として、積極的な活動を開始します。

その時点でのエントリは、「カーンの逆襲」-分断のアメリカFTC-「消費者福祉促進」ガイダンス撤回 になります。

ちょうどこのころ、競争促進の大統領令がでてきます。そのエントリは、「プラットフォーム/ネットワーク中立性/インターネット成分表/(軍用品の)修理の権利-競争促進の大統領令とファクトシート」、あと、修理の権利もみてみました(「米国における「修理の権利」の議論-FTC “Nixing the Fix”報告書を読む」)。

このあたりで、シカゴ学派がでてきたあたりのお話以来の面白そうな感じということで、ちょっと、アメリカの反トラスト法ウォッチを久々にはじめました。

ただ、結構な分量になったので、人前でご報告しようかなと思ったところで、上のカーン委員長トリックスター説にきちんと納得いきたいなあ、とういことで、新聞を賑わすようになった「新ブラダイス派」という言葉やら運動について調べてみました。このエントリは、「新ブランダイス派は、民主主義を取り戻すスターなのか?ヒップスター(流行り物好き)か?」です。

ここで、出てきたヒップスタという言葉に自分の直感と同じことを考える人がたくさんいたことで一安心。でもって、強烈な反論については、「新ブランダイス派は、所詮ヒップスター(流行り物好き)なので、葬送曲が必要?」のエントリで分析しました。

でもって、新ブランダイス運動の評価をまとめます。Hovenkamp先生のCVはこちら。

2021年の論文だけでも、10本ありますね。

「反トラストとプラットフォーム独占」とかは面白そうです。

新ブランダイス派について、どう考えるかということですと

2020年4月17日 下院 司法委員会反トラスト、商務、行政法下部委員会での陳述

「運動反トラストに何が起きたのか」(Whatever Did Happen to the Antitrust Movement? )(引用は、Herbert Hovenkamp, Whatever Did Happen to the Antitrust Movement?, 94 Notre Dame L. Rev. 583 (2019).  Available at: https://scholarship.law.nd.edu/ndlr/vol94/iss2/3)

が参考になりそうです。

ということで、まずは、下院 陳述からみてみます。


この陳述は、全体で、12頁からなるものです。

最初は、挨拶、そして、デジタル市場における競争問題に対するために存在する反トラスト政策の適切性に対して回答するのが、この陳述の目的であることが明らかにされています。

次のパラは、反トラストの目的です。

反トラストの目的は、反競争的な行為を特定し、制裁することにあります。反競争的な行為とは、生産量を不当に減少させ、価格の上昇や品質や技術革新の低下を招き、消費者に悪影響を与えるものです。

として、政治問題、特許問題、契約問題、不正行為、プライバシー侵害、その他の不法行為などの問題を解決するものではないこと、また、企業が巨大さ(Bigness)を目指すのを(禁止するように)デザインされていないことが語られています。消費者志向のアプローチは、生産量が最大になることが、経済発展を助長し、企業も労働者も含んで、すべてのものを利することが語られています。

次のパラは、デジタル市場における合併を含む独占的独占的行為や反競争的取引についてです。シャーマン法1条(取引制限)、2条(市場の「独占化」)、クライトン法の実質的規定(その効果が競争を実質的に弱めたり、独占を生み出す傾向がある場合」)(合衆国法律集第15編第14条、第18条))が重要であるとします。Hovenkamp先生は、連邦の司法的見解は、より狭いものであるというコメントをします。そのような狭い解釈が生じた原因については

  • 1970年代の行き過ぎた反トラスト法の執行に対する反動があること
  • 判事が、反トラストのトレーニングを25年ほど前に受けているということも理由であること(それ以来、理論的・実証的経済学において注目すべき進歩があって、分析技術も進歩しており、特に重要な技術/デジタル要素を有する市場では、より執行が求められるのにもかかわらず、判事の世代の関係で、より執行が消極的になっている)
  • 効率性が実際よりも多くの反競争的行為を説明できると考えているナイーブさ
  • 市場は自然に自己修正する傾向があるという、かつて広まっていた信念の残滓であり、その結果、執行に対するバイアスが生じています。 しかし、経済学の発展は、この仮説が誤りであることを示しており、生産高の減少、不必要に高い価格コスト・マージン、イノベーションの減少という形で、私たちは大きな代償を払ってきました。 様々な方法論を用いた数多くの研究が証明しているように、経済における独占量は憂慮すべき速度で増加しており、過去数十年で最も高いレベルに達しているとしています。

Hovenkamp先生によると、連邦の司法判断についての反執行バイアスは、きわめて問題であると考えられます。これは、「合理の原則」において原告が受けている競争制限を定義することの不合理なまでの厳しさが例に挙げれます。California Dental事件や American Express事件を例にあげています。その結果、「合理の原則」は、執行ツールとしての有用性を失っているとします。

次のパラ(4頁)は、独占的行為-実質的な市場支配力を有する企業による排他的行為-のについての現行法の適切さに対するものです。現在では、コストを上回る価格を増加させて利潤を得る力を市場支配力(market power)としていますが、従前は、市場のシェアの参照によって、「間接的に」参照していていました。同先生によると、デジタル市場における市場定義アプローチは、製品が大幅に差別化されていることが多いため、特に誤りが生じやすいとされます。

例えば、グーグルとフェイスブックがデジタル広告の70%を支配していると言っても、デジタル広告がより伝統的な広告媒体とどの程度競合しているかがわからなければ、ほとんど意味がありません。一方、伝統的な広告を市場に含めると、この2つの形態を完全な競争相手として扱うことになり、市場支配力が過小評価されることになります。

市場の定義は、何かが市場の内側にあるか外側にあるかという、必然的に択一的(binary)なものです。一般に、差別化された製品を含む市場の定義は、マーケットパワーを過小評価することになります。ハイテク市場における独占禁止法上の活動のほとんどは、差別化された製品を含むため、これは特に残念なことである。

そして、市場の画定について

今日、私たちは、このマーケットパワーの問題をより正確に扱うことができる計量経済学的手法を開発しました。市場の定義をしなくても、このマーケットパワーの問題をより正確に扱うことができるようになりました。

となります。結局、市場支配力は、状況によって最適な技術でもって測定さなければならないことが明らかされるべきである。関連市場における市場シェアがいつも表示されるのは避けなければならないし、直接測定することが可能であれば、それによるべきであるとしています。

同教授は、アマゾンのeBook市場における大きな割合を除けば、存在しているプラットフォームは、十分な市場支配力を有していないと考えています。いまひとつの問題は、インターネット広告であり、市場シェアは、信頼できないので、直接、経済的証拠によって市場支配力を測定したほうがいいだろうとしています。同教授は、排他的取引、最恵国条項協定、抱合せ販売などの主張を成り立たせるのに十分であるとしています。

また、独占化の主張は、反競争的行為の証拠を必要としています。もし、独占に該当しない場合でも、排他的契約は、反競争的とされます。また、この場合、二面市場の検討をなすので、略奪的価格の主張は弱いものと考えられるとしています。

単独の独占行為としては、取引拒絶になりますが、米国は、欧州共同体やその他の法域ほど介入的ではなく、取引義務ルールは、過度に広範になり、企業が、新規市場に投資しにくくなり、また、他の企業の資産にただ乗りするのを認めることになるとしています。同教授によると、企業の投資を守ることによって、新興事業的な協業をはかり、ただ乗りを抑制するルールがデザインされなければならないとしています。

同教授は、アマゾンやフェースブックの分割の議論にほとんど意味を感じないとしています。消費者や投資家にとって深刻な害なしに分割をなしうるとはかんがえられないと考えます。結局、分割提案は、「美辞麗句(rhetorical flourish)」にすぎないとしています。また、「準」(quasi)分割(例えば、アマゾンを自分の商品の販売プラットフォームとブローカー的なものに分けること)についても同様に考えています。このような提案を実現すれば、アマゾンのハウスブランドは、価格定価圧力をうけなくなり、価格の上昇をもたらす可能性があるではないかというです。反トラストの執行は、だれが傷つくのかを判別するのが賢明と呼ばれるとしています

次のテーマは、契約実務に関するものです。同教授は、最恵国条項(MFN)、アンチ・ステーリング条項(再販売業者が消費者をひとつの商品から、他の商品に移動するのを禁止する条項-アップル対エピック事件で争点になっている)、独占的取引、および抱き合わせを含む関連取引などの契約慣行にも適用されるべきであるとしています。また、救済として、利得の吐き出しが合理的であるとしています。

また、同教授は、プラットフォームが、中小企業や消費者に対しなしうる契約実務の影響についてのあまりにもシンプルな見方に注意をします。このシンプルな見方というのは、アマゾンと競争する中小企業は、間違いなく傷ついており、アマゾンがブローカーとなってる場合には、利益を得ているというものです。このようなカテゴリ的に行動すべきではないとかんがえるのです。同様に、価格がゼロで,消費者は、プラットフォームから利益を得ているという考え方にも、競争相手を傷つける抱合せ行為は、存在するので、個別に分析が必要であるとしています。

FRAND(Fair, Reasonable, And Non-Discriminatory terms and conditions」の略称-ライセンスに際しての金額や条件が公正,合理的かつ非差別的であること)のライセンスのコミットメントにおける反競争的効果についても注目すべきであるとします。

9頁からは、合併についての議論になります。クレイトン法7条の規定は、きわめて広範であること、水平・垂直・コングロマリットについての区別をしていないこと、産業の集中度を要件としていないことが論じられています。実証的な研究では、承認された合併において、特に価格の上昇が認められ、競争阻害が発生していることを物語っています。また、合併法は、水平および垂直方向の合併が価格上昇をもたらす理由を説明するのに役立つことが多い、利益最大化企業間の交渉行動に関する健全な経済分析を反映すべきであるとされています。

同教授は、デジタルプラットフォームによる小規模企業の買収は、買収に関する脅威であるとしますが、しかしながら、当局のガイドラインが適合していない問題であるとします。補完的なサービスを買収するのは、競争促進的ですが、その一方で、買収は、潜在的に競争を制限します。

潜在的にライバルに発展するであろうという企業を予測するのは、困難で、歴史的には、合併法は、特別の証拠を必要としてきました。同教授は、「当然違法の法理」が用いているように、よりカテゴリカルの判断を必要とするだろうとしています。ひとつの例としては、ワッツアップの買収については、ワッツアップを買収したとしてもその技術をライセンスする自由を残しておく、ということは考えられるべきであるとしています。

10頁の最後から、反トラス法の執行のための機構の議論になります。司法省、連邦取引委員会との重複等についての議論がなされています。この点は、デジタル市場の議論等に関係しないので、パスします。


Hovenkamp先生の会員での陳述は、以上のとおりです。新ブランダイス活動についての直接のコメントは、ありませんが、「グーグルとフェイスブックがデジタル広告の70%を支配していると言っても、デジタル広告がより伝統的な広告媒体とどの程度競合しているかがわからなければ、ほとんど意味がありません。」あたりは、カーン氏の「アマゾンの反トラストのパラドックス」に対しての批判としても成り立つようも思えます。また、アマゾンやフェースブックの分割の議論にほとんど意味を感じないとしており、分割提案は、「美辞麗句(rhetorical flourish)」にすぎないとしているあたりは、新ブランダイス活動の主張を支持しているものとはいえないと認識されます。


「反トラスト活動に何が起きたのか」(WHATEVER DID HAPPEN TO THE ANTITRUST MOVEMENT?)をみてみます。

この論文は、2018年11月に発表されたものです。全部で、57ページの論文です。

序は、12頁ほどのボリュームです。政治的な思惑に揺られている反トラスト法について、同教授の見解がまとめられているように思えます。

そのはじめの部分は、

今日、米国の反トラストは、正当な経済的目標を定義し、実行するために設計されたテクニカルな規則の追求と、新しい反トラスト「運動」を求めるより政治的な要求との間で揺れ動いている。この運動の目標は、産業集中との戦い、大企業の経済的・政治的権力の制限、富の偏在の是正、高収益の抑制、賃金の上昇、中小企業の保護など、さまざまに定義されている。どの目標も新しいものではありません。

という論述から始まっています。同先生は、さらに何も新しくないこと、反トラスト法の歴史で、何度も現れてきたこと、消費者価格が低いことはしばしばふれられていないことについて論じます。

その後、Richard Hofstadterの反トラスト「運動」は、「アメリカ改革の薄れかけた情熱」(faded passions of American reform)であるという言葉や、別の方向からのRobert H. Bork とWard Bowmanの「The Crisis in Antitrust」における

独占禁止法は、競争を維持するという政策と、競争相手をよりエネルギッシュで効率的なライバルから守るという政策との間で永遠に揺れ動いていた。

という言葉を紹介しています。そして、Borkが「反トラストのパラドックス」において実務家の間にさえも、反トラスト法の経済的な目的および効果に対する基本的な理解の欠如を述べていることにふれています。そして

一方では、政治家や人気のあるメディアが、アメリカ経済の様々な構成員によりよく貢献できるような、より強く、より広い反トラスト規則を求めているような「運動」の性質がある。しばしば、この運動の参加者は経済学を真剣に理解しておらず、競争政策が達成できるものについて非常に非現実的な期待を抱いており、一貫性のない、さらには支離滅裂な目標を持っています。しばしば、これは、不信感と偏執さをとも照っており、それらは、ビッグビジネスへと向けられている。

一方、独占禁止法は、デュープロセス、経済効率、管理可能性、検証可能性への関心から、より退屈なテクニカルな規則を定めている。反トラスト運動とは対照的に、ホフスタッターは、「制度的現実としての反トラスト事業は、今ではあまり世間の注目を浴びることなく静かに進行しており、我々はそれを見失っている」と観察している。 彼は、「強制的な世間の関心を失ったまさにその年に、反トラスト事業はビジネスの行動に影響を与える真の結果の力となった」と嘆いている。

と述べています。

上でふれたような事項は、より現代社会において重要性を増していること、そして、この50年間、合併や排除行動において、よりテクニカルになっていったし、また、因果関係や損害の測定においても同様であることにふれています。よりテクニカルに完成すれば、その「運動」のクオリティは、背景に色あせていくか、政治的なノイズになるとしています。同時に、テクニカルな反トラストは、政治家にとって興味をひかないものになるとしています(HHI について選挙で語る人はいないだろうということです)。

もっとも、反トラストが運動として政治的な興味を引いてきたのに成功したのは事実であるけれども、結果としてその目標は、測定不可能であるし、また、根本的に矛盾していたこと、低価格、生産量の増加、高品質、製品・サービスのバラエティがなさている場合、競争相手を傷つけるのは不可避的である。そして、「運動」は、それらの要素の正反対を主張する。

とはいえ、「産業集積」や「大企業」といったマントラは、政治的に大きな力を持っていること、これらの言葉は、管理可能なルールをほとんど何も提供していないにもかかわらず、政府が制御しなければならない、大きくて、悪くて 政府がコントロールしなければならないというイメージを喚起します。

そのあと、2016年の民主党の政策をみます。そこでは、「企業の集中」「競争の不当な制限」「支配的企業による濫用的行為」など、前提条件次第で実質的な意味を持つキャッチフレーズが用いられていますが、「公正さ」についての参照点は、ふれられていません。共和党の2016年は、反トラストにふれてもいません。

一部の企業の欠点に対応するために、消費者が高い価格を求められることは「公正」でしょうか。逆に、価格や品質で大企業に対抗できないという理由で、中小企業が苦しむことは「公正」でしょうか。また、古い実店舗型流通に大きく投資している企業が、より技術的に優れた起業家精神を持つ企業に負けることは「公正」でしょうか。独占禁止法上の懸念事項としての「公正さ」は、基準点や一連の測定ツールがなければ意味がありません。

民主党は、抱き合わせ商法、価格操作、排除行為について、論じています。もっとも、排除行為は、不明瞭なので、意味はないですとします。「抱合せ」がはいっているのは、不思議であるとします。抱合せは、現代の経済ではありきたりのものですし、ネットワークと技術について根本的なものですし、さらに大多数は、競争促進的です。むしろ、合併がはいっていないのは、説明が必要であるとします。

同先生は、少なくても、この民主党の要綱は、反トラスト運動の再現を反映しているようにみえるとします。その支持者は一般的に経済学の使用を軽視しており、反トラスト政策は代わりに政治理論によって支配されるべきだと提案することもあるとしています。

さらにここから、リナカーン氏の論文をも注30で示して、

反トラスト運動は、生産高と価格を参照して競争を測定することを放棄することを様々に論じている。また、消費者福祉を独占禁止法の規定として完全に放棄することも主張している。

と論じます。注32では、リナ・カーン論文について

まとまった定義を提供することなく、アマゾンなどの小売業者が「略奪的な価格設定」を行っていると非難しています。

低くても利益の出る価格をいつまでも請求することは また、サプライヤーに競争力のある価格を強制することも違法な「略奪的価格設定」ではありません。

と批判します。

これらの運動が、「消費者厚生」という用語を誤解していること、また、近時の反トラストの法理論について、その影響が誇張されていることによるとしています。同教授によれば、消費者の福祉は、高い生産量と低い価格、そして高い品質によって改善される。この定義では、生産者、競合他社、あるいは慣行によって影響を受ける可能性のある消費者以外の者の厚生は無視されること、裁判所が厚生の「トレードオフ」を計算する必要がないことが利点であるとされます。

(なお、Bork教授は、生産者と消費者を総合的にみていることにふれています。あと、最高裁の「消費者厚生」の利用についても、ふれています。その中の主たるものは、再販売価格維持についてのリージン判決になります)

「運動」についてのいま一つのやっかいなものは、消費者価格の安さについての無関心さであるとします。ここでもカーン氏の論文はやり玉に挙げられます(注51)。

彼らは、垂直統合がレバレッジや囲い込み(フォアクロージャ)につながるという非常に一般的な提案をしているだけで、テストを示すことなく、垂直統合に対する厳しい規則を推奨している。 彼らは、1968年の合併ガイドラインに示された合併執行基準に戻ることを求めている。例えば、市場の15%を占める企業と、市場シェアが1%以上の他の企業との合併を阻止することである。

注55でもそうです。

彼らは、「価格破壊」とは実際には「独占の最も強力な武器であり、小さなライバルを殺す手段である」というルイス・ブランディスの繰り返しの主張を熱心に受け入れている(注55)。ブランディスが支持した再販価格維持の多くは、ディーラーカルテルの要請によって行われたもので、サプライヤーは価格破壊者を懲らしめる手段として再販価格維持を利用することを余儀なくされた。

もっとも、同教授は、大企業は、アメリカ人の生活に競争的な価格以外に害を与えているとします。しかしながら、それらは、項目ごと、証拠をもって、反トラストの範囲内であるのか、そうでないのかとともに並べられるべきものだとしています。大企業を小さくし、価格を高くするために独占禁止法を乱用することは、消費者だけでなく経済全体に回復不能な損害を与える可能性があると考えます。

また、同教授は、アメリカ人は、価格の安さを気にしないのだという主張についても、根拠がないし、民主党は、そのような考えを取ったとすれば、その自らの支持者を傷つけるものであるとしています。

反トラストの知識人(cognoscenti )は、運動の反トラストの議論を真剣に受け止めないかもしれない。経済的に情報がなく、検証されておらず、過度に修辞的で、支離滅裂で、偏執的であると考えるからだ。しかし、知識人は、政党も投票箱もコントロールしていない。政治的プロセスが政府の政策を狂わせるという危険性は現実にある。ある政党が、真の支持者(constituency)を犠牲にして、極端な少数派のイデオロギーを追求したのは、初めてのことではないだろう。

として序論を締めくくります。

1 テクニカル反トラスト

同教授は、「運動」反トラストとは、対照的なアプローチを「テクニカル反トラスト」として、定義します。

「テクニカル反トラスト」とは、反トラスト法によって合理的に達成可能な社会的状況の最良のセットを描くことから始まる一連の反トラスト規則のことである。

その後、証拠や専門家に頼り、反トラスト政策を行う機関の実質的な限界に沿って、それらを実現しようとするアプローチを開発します。

この反トラストは、適正手続、合理性、管理可能性、明確な証拠によるため、抑止的効果が効かないと批判されます。反トラストのルールについての検証可能性に配慮します。一方、運動反トラストは、反競争効果に対する過剰な抑止効果を有するとされ、また、競争阻害について、証明不可能な理論を採用しているといわれます。また、検証可能性については、興味がありません。

さらに、反トラスト法は、この懸念に対処する多くの法的政策の一つに過ぎないこと、独占禁止法の主な関心事は市場権力であり、政治権力ではないこと、ただし、政治権力が市場権力の創出につながる場合や、独占禁止法が対処できる方法である場合には、政治権力が関係してくることがあること、消費者厚生基準が短期的なものしかみていないと批判されていが、根拠がないこと、などについて検討がなされます。

テクニカル反トラストは、一般には、みえないものになってきていること、その一方で、運動反トラストは、一般がより興奮するようなイメージを生み出すこと、一般の意識は、合理的な決定とは異なることを示していること、を論じます。

そして、テクニカル反トラストは、反トラストが問題にしうることをより狭くしており、抑止効果を消極的にしていること、しかしながら、それは、誤った結果とは異なることを論じています。

反トラスト訴訟の構造の結果、被告が有利になり、結局、疑陰性(競争を阻害しているにもかかわらず執行されないこと)が多数生じているのではないかという批判があります。テクニカル反トラストの先導的な学派として、クラシックなシカゴ学派と1975年以降のハーバード学派があります。これに対して、運動反トラストは、技術的に洗練されておらず、検証不可能で、まとまってないとまでいえます。

これは、反トラスト法の文言が、曖昧であることも影響しているだろうと論じています。「競争」「独占」自体もクレイトン法では定義がなされていないのです。

反トラスト法の拡張的で曖昧な表現は、反トラスト法がすべての人のためにすべてのことを行うことができるという感覚をもたらし、数十年にわたり、一部の支持者はまさにそのように見てきたのである。

運動反トラストは、この曖昧さを常に魅力的に感じている。なぜならば、この曖昧さによって、主人公たち( protagonists)は、共感を得られない可能性の高い議会に出向くことなく、アジェンダを追求することができるからである。

Ⅱ テクニカル反トラスト 目標、ソース、そして限界

テクニカル反トラストは、ハーバードとシカゴという異なるところから始まっているものの、1960年代後半から1970年代にかけて収斂しはじめしまた。最高裁は、ハーバードアプローチをとっててきいること、シカゴは、よりレッセフェール的な傾向をもつこと、1970年代から80年代にかけて、政策の変更があったこと、より介入を減少させて、当時の経済理論により対応してくるようになったこと、1970年代は、ポズナー、ボーク、アリーダ・ターナーなどの影響力を有する著作が公表されたことなどがふれられています。当時から1990までは、最高裁は、被告に有利な判断をするようになってきています。注目すべき判決が多数あげられています。

1970年代から、「シカゴ学派」は、非介入的な版トラストの政策として批判され、もしくは、称賛者からは、偉大な業績であるとされてきました。もっとも、特定のルール作成は、ハーバード学派によってなされてきました。一般的に論じれば、反トラストは、極端の間の中庸な位置をとり、競争阻害ととそれを減殺する説明とが、十分に発展し、事実認定が十分で、正当化されるべきという主張を反映しているといえます。

このような70年代からの動向について、略奪的価格(A) 、垂直的ブランド内・ブランド間制限:囲い込み(B)、垂直合併および囲い込み(C)、補助的な水平制限および合理の原則(D)、市場の構造・参入障壁・水平合併ポリシ(E)、反トラスト連邦主義(F)、民間による執行(G)にわけて分析がなされています。

これらの問題については、非常に興味深いところですが、時間の関係で、パスします。

Ⅲ  反トラストの短所を診断する(Diagnosing Antitrust Shortcomings)

反トラストは期待に応えているのか?という質問に答えるためには、合理的な目標を特定する必要があります。もし、反トラストの課題が、低価格、生産量の増加、製品やサービスの品質を脅かす行為に限定されるのであれば、反トラストは、かなり明確な道筋を持っていることになる。消費者福祉の原則の下での独占禁止法は、競争上有害な行為を特定するために厳格な事実認定と経済分析を必要とするため、その困難さを過小評価すべきではない。

その一方で、右派の一般的厚生アプローチと左派のよりポピュリストなアプローチには、高い生産量と低い価格の重要性を否定するという共通する重要な特徴があるとしています。また、首尾一貫した方法で適用することが難しいとされています。

詳細については、(A)まとまった、より管理可能な目標の必要性、(B)市場支配力問題、(C)市場集中と合併ポリシ、(D)労働市場のモノプソニーと反トラスト にわけて論じられています。

A)まとまった、より管理可能な目標の必要性(The Need for Coherent and More Administrable Goals)

適用が困難だとしても、消費者厚生原則のもとでは、予測可能性は最大化され、利害関係グループの衝突は、最小化されるとされます。この目標は、数値化されます。また、トレードオフを考える必要はありません。

他のまとまった、測定しうる目標は、一般的厚生となる(ボーク説)が、これは、生産者と消費者の総和ということになる。この一般的厚生基準は、市場支配力と高価格を許容してしまうことになる。生産者の利潤が、消費者を阻害しても、より大きい時にそのようなものを許容するか、という点で相違が生じます。

これらに比較して、運動反トラストは、政治権力の掌握、富の平等、仕事の提供と賃金、そして中小企業の保護を目標とするので適用が困難になります。例えば、目の仇にされるアマゾンにしても、他の企業より高い給与を支払っており、もし分割されれば、むしろ、賃金としては、低下への圧力がかかるだろうをとされています。

一般的には、生産高の向上を追求すれば、雇用の増加につながること、生産効率を下げることでも、雇用を維持しうること、とされ、製品の生産量を増やして価格を下げることはできても、生産効率を上げて雇用数を減らすことになるため、非難されるべき行為とされるのか?どこまで追求すべきなのか?とされます。

(B)市場支配力問題

価格とコストのマージンで測定した場合に、市場支配力は、上昇しています。(もっとも、グーグルとアマゾンは、これに貢献していません)

これは、コスト構造における変化があったこと/反組合的な政治・法の結果/ある程度は、合併に対して非抑止的だったこと/市場の競争性と富の配分に明確なリンクがあることによります。

(C)市場集中と合併ポリシ

市場構造に関していえば、反トラストは、三つの異なった道をとりうるとして

  • ボーク流の集中を無視して、独占と価格協定に集中する
  • 正反対に運動反トラストの考え方のように高度集中を規制する
  • 中庸な考え方としての市場の構造は、関連するが、生産量と価格の懸念のための唯一のものではないとする

があるとしています。

これに対して、実証的な結果によるとしています。そして、これは、経済理論・実証結果、生産・移動手段、人口動態などによるとされます。だからこそ、水平合併ガイドラインが幾度となく改正されています。この観点から、同教授は、Consolidation Prevention and Competition Promotion Act of 2017をみます。クレイトン法の規定において、「実質的に」競争を阻害するというものを「主として」阻害するという改正は、その限りではよいだろうとしています。

(D)労働市場のモノプソニーと反トラスト

消費者厚生基準のもとでの反トラストは、直接の目標ではないものの、よい効果を及ぼします。低価格、生産量の高さ、雇用は、完全ではないもののの関連を有しています。では、消費者厚生基準を離れて、雇用の結果を善くするべきかという質問がでてくるが、これに対しては、低価格と雇用とのトレードオフを認めるのか、それをどのように測定するか、ということになる。

さらに何故に反トラストをその道具とするのかという批判をします。労働生産性をあげないように特許法を制限したほうが効果的だというのです。

もっとも、労働市場においても、反トラスト法が適用され、それが有効であるのは、変わらないとしています。団体交渉においてのみ、複数の使用者が、賃金についての協定をなしうるにすぎない。法で許容されている場合以外にそれを行えば、価格協定であり、市場分割合意であるとされます。積極的な利用は、消費者厚生基準にも合致するものである。

要するに、消費者の福祉を最もよく理解するには、競争が許す限り、製品と労働力の両方の生産量が高い市場を促進することですとされています。

結論

この記事は、反トラスト運動に何が起こったのかという歴史的な疑問から始まりました。端的に言えば、反トラストは成長したということである。それは、政治的な旗印やゆるいレトリックのネタであることをやめ、真摯な学問に変わり、その能力の範囲内の問題に正当な法的、経験的な技術を適用するようになった。

今日の反トラスト法の欠陥を修復する方法は、何の指針も与えず、経済に深刻な損害を与える可能性のある規律のない一連の目標に頼ることではない。むしろ、研究と経験が教えてくれたことを反映して、反トラスト法執行のテクニカルな規則を継続的に調整することである。

としています。

また、現在の問題として合併の問題点(高価格につながる場合が多い)、価格協定カルテル・再販売価格維持は、検証がしやすいとされます。

一方、略奪的価格が、非抑止的かどうかというのをどのようにして検証するのか、また、ジョイントベンチャの「合理の基準」をどう測定するのかという問題があります。もっとも、運動反トラストは、検証可能性が存在しないのです。

同教授は、この考察を

テクニカル反トラストがうまく機能すれば、管理されていない競争に見合った最高の生産量を促進することができるはずです。その結果、完全雇用やより平等な富の分配といった副次的な利益のために、反トラスト法ができることをすべて行うことができる。

と締めくくっています。

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図で分析しておきます。この図は、以前にも使った図なのですが、この新ブランダイス派に対しての批判の部分は、まさにそのとおりということでかんがえているのかと思います。

テクニカル反トラストというのは、消費者厚生基準という明確、客観的で、検証可能なものをベースに、事実でもって、その検証をなそうという態度ということができます。その意味で、「テクニカル」というのは、むしろ、「科学的」反トラストというニュアンスでとらえるべきかもしれません。

運動反トラストは、みみあたりのいい言葉とレトリックで大衆を煽動する、デマゴークという印象なのかもしれません。

個人的には、プラットフォームについての具体的な検証について、Hovenkamp教授が、語っていることがすごく示唆を含んでいるように思います。実証的なデータで見たときに、プラットフォームは、広告業者に対しての契約条件は、どのようなものであるのか(グーグル)とか、販売者に対しての最恵国条項は、どうか(アマゾン)とかについて具体的に検証しなければならないとしているのは、重要だと思います。また、合併についても問題提起をしています。

 

 

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