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「新ブランダイス派は、民主主義を取り戻すスターなのか?ヒップスター(流行り物好き)か?」ということで、新ブランダイス派の旗揚げから、ある程度の注目までみてきました。もちろん、その後、ウー氏のバイデン政権補佐、カーン氏のFTC委員長就任、カーター氏の司法省入りというのは、この新ブランダイス派の活躍ということでまとめることができるかと思います。
しかしながら、一方、いままでは、経済学のバックグラウンドでもって政策の有効性を検証してきたのに、いきなり議会の意図とか、政治的/経済的支払の分散、とかいわれても、検証しようないし、はたして、そのような規制は、そのような法目的のために合理的なのか、という疑問が上がるものと思います。
そこで、今回は、新ブランダイス派は、ヒップスターであるという立場からの論述を見ていきたいと思います。
「A Brief Overview of the “New Brandeis” School of Antitrust Law」では、
が上がっています。
オサリバン氏は、リサーチャー/ライターという感じです。
その記事は、
それは恐ろしいことのオンパレードです。大規模なテクノロジー企業は、格差拡大の原因とされています。賃金の低迷は、独占力と称されるもののせいだとされる。右からも左からも様々な批判がなされているように、市場の力は民主主義そのものを脅かすものでさえあります。
というように述べたあと
他の独禁法研究者によれば、この「新しい」批判は、実際には全く新しいものではなく、現在の消費者福祉基準以前の独禁法政策の時代の焼き直しであるという。
として、
を紹介しています。
まずは、オサリバン氏の記事を続けますが、その記事では、
ヒップスターの反トラスト運動の主な動機は、価格理論分析によって導かれる確立された消費者福祉基準を覆すことである。 それは、反トラスト政策のレバーを使って、特定の種類の市場構造を作り出そうとするシステムに取って代わられるだろう。
実際、この意見の支持者の多くは、独禁法プロセスを政治的に利用しようとする意図を明確にしている。この世界では、環境保護、労働者の権利、メディアの問題など、あらゆる政治的問題がヒップスターの独禁法分析の要因となりうるだろう。
市場の健全性を判断するために消費者への最終的な影響を観察するのではなく、政策立案者は「健全な」市場構造がどのようなものであるかを事前に決定し、その図式に合うようにビジネス展開を積極的に淘汰することになる。
として、上のレクイエム論文を紹介します。そして、記事は、
ということで、それぞれについて詳細に論じています。
この記事の内容についても、基本的に、レクイエム論文を詳しく分析することが有効そうなので、見ていきます。
レクイエム論文は、2018年8月10日付けです。構成は、序、1部 消費者厚生基準への道、2部 消費者厚生基準のもとでの反トラストの執行は失敗したというヒップスターの主張は、実証的な証拠によって拒絶されること 3部 消費者厚生基準の利点 4部 消費者厚生基準の廃棄とヒップスター反トラスト活動の迎合の危険性 5部 結論 となります。
図で示すとこんな感じかと思います。以下、具体的にに見ていきます。要は、注目を集めているヒップスター活動だけれども、証拠に基づいて判断するという態度をすてされること、基準を放棄させること、などからいって50年間の発展を無視するものであって、その効果は、むしろ、反競争的であったりする可能性が高いということです。
序
50年以上に渡って、反トラスト法は、発展を遂げており、アメリカの競争力や社会的福士のみならず世界における市場競争の文化を輸出してきたとしています。
独禁法の知的景観を支配しているのは健全な見解の多様性であり、既存の法理のパラダイムの中で、周辺部のパフォーマンスを改善する方法についてのアイデアには事欠きませんが、現代の独禁法は中核的な概念を正しく持っているという点では一致しています。最も基本的には、消費者の福祉を保護するという目標が、現代の反トラスト法執行の基準であり、またそうあるべきだという点で一致している。
これは、常にそうであったわけではありません。独占禁止法は、その歴史の大半において、良いことよりも悪いことをしてきましたた。現代の “消費者厚生 “の時代の前に、独占禁止法は、大衆的な(ポピュリストの)概念を追求する混乱した教義を採用し、しばしば矛盾した結果をもたらし、アメリカの消費者を犠牲にして様々な社会的、政治的目標を達成しようとしていた。法学者、学者、経済学者、政府の執行者の間で議論された結果、反トラスト法は、消費者の厚生に焦点を当て、反トラスト分析を経済的な学習と証拠に結びつける、扱いやすい基準を採用した。独占禁止法の専門家や学者の視点から見ると、独占禁止法における消費者厚生革命は、支離滅裂な教義をその内部の矛盾から救い、消費者をその逆説的な結果から救ったのである。
しかしながら、これを覆すかのようなヒップスター論者に対しての認識は痛烈です。
主流の反トラスト実務と学会の外では、状況は全く異なっています。もう一つの革命が起きているように見えます。しかし、この革命は、多くの点で、反トラストの過去を覆すものである。それは、反トラスト法執行におけるポピュリズムの復活を求めています。それは、現代の独占禁止法の時代と消費者福祉基準そのものを失敗と宣言するものである。この新しい革命は、反トラスト法の足元に、不平等の拡大、従業員の賃金問題、政治権力の集中などを含むものの、それらに限定されない無数の社会的・政治的問題を提起しています。この革命の鼓動は強く、大きくなっており、公明正大な知識人やシンクタンカー、著名な国会議員など、幅広い熱狂的な参加者や信奉者がいます。実際、この革命はすでに成功しており、一般のメディアや公論で独占禁止法についての議論が増えていることや、民主党の政治綱領や提案された法案にまでその中心的なアイデアが組み込まれていることからもわかる。(略)
ヒップスター反トラスト運動は、最終的には、どの程度の独禁法の介入が最適であるかという左右のイデオロギー闘争のためのものではない。ヒップスター反トラスト運動は、現代反トラスト執行の中核をなす経済学的手法とエビデンスベースの政策へのコミットメント全体的に拒絶することをもとめています。ヒップスター反トラスト運動は、Post-Chicago派が介入するのを拒絶するのと同様にシカゴ学派の自由市場主義者の独禁法へのアプローチを容易に拒絶するであろう。
そして、具体的な主張については、いくつかの政策提言を含むものであるとして、
その中には、消費者への影響を無視した企業規模に基づく「大きいことは悪いこと」の反トラスト法執行への回帰、広範囲のカテゴリーのM&Aを完全に違法とすること(例えば、潜在的な水平・垂直方向の問題がない場合でも、一定規模以上の合併はすべて違法とする)、所得格差や賃金への影響を考慮するために消費者福祉基準を放棄することなどが含まれます。我々は、証拠に基づいた政策提案として評価された場合、ヒップスター反トラストのアジェンダは、その主張や約束を立証することができないことを示しています。提案された政策が解決するとされる「問題」の根拠となる証拠が単に不足している場合もある。他の例では、ヒップスター反トラスト運動とそのポピュリストの支持者は、反トラストのエンフォースメントが最適なレベルにあるかどうか、すなわち、反トラスト機関は現在の消費者福祉基準の下でできること、すべきことをすべて行っているかどうかという問題と、基準がその目的を果たすことができなかったかどうかという非常に異なる概念的な問題とを混同しています。
そして、過去の経験を無視しているとします。具体的には、
ポピュリストの反トラスト支持者は、反トラスト法の施行を、消費者に害を与え、非効率的な企業を支援する体制に向かって、過去にさかのぼって進めると脅しています。ポピュリストの反トラスト擁護者は、反トラスト法が、現在彼らが反トラスト法の適切な焦点として称賛している社会政治的な目標を、過去に促進しようとしていたことを無視しています。この社会政治的な反トラスト体制は、その支離滅裂さと内部の一貫性のために、徹底的に、そして政党に非難されたのです。それは、消費者の福祉よりも企業の福祉を助長するものであった。そして、その支離滅裂さは、法の支配を著しく損なうものであった。また、ポピュリストの反トラスト擁護者は、なぜ現代の反トラストが市場構造と集中に焦点を当てた単純かつ恣意的な分析を拒否し、実際の競争効果を分析することを好むのかを無視しています。以前の構造主義的アプローチの基礎となっていた経済学は、市場シェア8%の企業を作る合併に政府が異議を唱えたようなものであり、とっくに歴史のゴミ箱に捨てられてしまっています。
としています。
1部 消費者厚生基準への道
この議論を理解するには、反トラスト法の130年の歴史を理解するのが重要であるということになります。目標・組織的適合力( institutional competence)について検討された上で、消費者厚生基準を採用するに至っているわけです。
独占禁止法の実務家、学者、経済学者のほとんどが、消費者福祉基準の採用が独占禁止法をより良いものに変えたと認めている。 消費者福祉基準の採用は、反トラスト法を良い方向に変えたと認めている。 独占禁止法は、混乱していて効果のないものから、消費者福祉基準を採用することで、より良いものへと変化した。
消費者を効果的に保護し、反競争的なビジネス慣行を防ぐことができる、現代の法理へと変化した。
として、具体的な歴史として
シャーマン法が議会を通過したとき(1890)に、「大きいこと」を防止すると考えられたこと、裁判所は、社会政治的な目標に奉仕するものと考えた、United States v. Trans-Missouri Freight Ass’n,166 U.S. 290, 323 (1897)では、「小企業や価値ある人」を保護するのが目的としたこと、アルコア事件(1945)によって、「巨大さは、個人の無力さゆえに防ぐべきこと」という目標が示された、このような社会政治的目標が維持されたこと、その後、価格効果に注目し、分析は、単純に、市場構造と集中度を反競争的効果予測するものとしたこと(例、1968年水平合併ガイドライン)が述べられています。そして、その結果、違法と適法の違いは、経済効果に関係なくなしに形式的な違いで決められる。
相反する目標を推進する場合、当然のことながら、他の社会的・政治的目標の推進は、しばしば消費者を犠牲にして行われました。 さらに、複数の目的を同時に追求しても、何も達成できないことが多いのです。複数の目的を同時に追求しても、何の成果も得られないことが多いのです。このことから、ワシントンDC巡回区のダグラス・H・ギンスバーグ判事のような反トラスト法の専門家は、「40年前、米国最高裁は、反トラスト法の訴訟で何をしているのかを知らなかった」と結論づけました。
その後、ポズナーなどを筆頭とするシカゴ学派によって反トラスト法の目的や具体的な解釈が議論されたこと、反トラスト法に原則に基づく判断が提供されるだろうこと、が提唱されたこと。
彼らはさらに、最終的に反トラスト法の適切な目標として受け入れられることになる、経済的(または消費者)厚生の最初の表現の一つを明確にし、競争の価値は、「その時点で、その指揮下にある資源で達成可能な最大の出力を社会に提供する」能力にあるとしました。
そして、Borkの「反トラスト法のパラドックスパラドックス」を紹介しますそして、シカゴ学派の見解は、もしく会社が、消費者と売り上げを、より効率的競争者によって、喪失することになっても、それは、いいことであるとなったわけです。
このような判断を前提にするものとして、Verizon Communications v. Law Offices of Curtis V. Trinko, 540 U.S. 398, 414 (2004)が挙げられています。
裁判所の判断において消費者厚生基準は、圧倒的多数である。経済理論や経済的理解を考慮に入れなければならない。構造・行動・パフォーマンス(SCP)パラダイムが捨て去られ/市場構造への依頼が捨て去られていること、その実証的な根拠がなかったことが明らかになって、反トラストにおける風景が変更したこと、垂直的制限について、競争促進的な効果があるとされて「当然違法」が見直されていること、が挙げられています。
結果、
現代の独禁法に対する最近の「ヒップスター」的な批判は、独禁法の長い施行の歴史をほとんど無視している。 彼らは、消費者福祉基準に対する広範かつ超党派的な支持を認識していない。 同様に、独禁法は数十年にわたり、ヒップスター運動が支持するような社会的・政治的目標を促進するために努力してきたことも認識していない。 これらの数十年にわたる善意の、しかし誤った目標の適用は、消費者福祉よりも企業福祉を促進する、内部的に一貫性のない支離滅裂な体制をもたらした。 そして、それが消費者福祉基準の採用に直結したのです。 この基準は、社会政治的な反トラスト体制が支持していた選ばれた企業利益の一部ではなく、すべての消費者であるアメリカ人全員に利益をもたらすものです。
という批判につながるのです
2部 消費者厚生基準のもとでの反トラストの執行は失敗したというヒップスターの主張は、実証的な証拠によって拒絶されること
次に「ヒップスター」の実証的な主張というのを分析します。すか な らりしぐ測定に問題があること、関連性害弱いこと、識別が欠けているとします。より基本的には、「ヒップスター」が頼っているセクションをまたぐ価格、利益の集中についての研究は、内生性(endogeneity -説明変数と誤差項との間に相関があること)に悩まされ、大まかに定義されたセクターとは対照的に、市場における競争力とはほとんど関係がないことが多いことが論じられています。
A 「 ヒップスター」の実証的な主張
独占禁止法の施行が緩いために消費者福祉基準が破綻しているという主張は、産業の集中化が進んでいるとすること、集中度の増加が、消費者にとって価格の上昇と生産量の低下をもたらしたと主張しています。
B 独占禁止法の甘さが集中力を高めたのか?
2015年のFurman & Orszagは、(1) 米国では産業の集中が劇的に進んでいる。(2) 集中度の増加は、消費者にとって望ましくない結果をもたらしている (3) 緩い、あるいは効果のない独占禁止法の施行の結果である、という主張をしました。
しかしながら、このデータは、1997年から2007年にわたって、50の大規模会社が、シェアを増やしたというものにすぎず、競争との関係はろんじていないこと、また、統計局の大雑把な産業の定義によるもので、反トラストの市場によるものではありません。関連製品と地理的市場を定義する標準的な手法があり、そのような手法に基づかないのは、意味がなく、基本的な要件を満たしていません。
C 緩い反トラストが、価格の低下や産出の低下を招いたのか
集中度の増加が、消費者に害を与えたのか、という問題です。ここで、基礎とされているDe Loecker & Eeckhoutの調査自体に問題があるとされています。その調査は、限界コストについての証拠を提示しておらず、産業組織論では、限界利益のみでは市場力の信頼できる証拠とはならないのです。また、その調査は、販売・一般・管理のコストという要素を無視している等の批判がなされています。むしろ、生産性の向上によって説明がつくのではないかとされています。すくなくてもきわめて注意深く扱わなければならないとされています。
D 合併のコントロールに際して、当局は、眠っていたのか?
Kwoka教授の調査は、振り返り調査によってメタ分析をしましたが、その調査は、消費者厚生を減少させる合併を禁止するのに失敗したと引用されます。この調査に対しては、手法上の批判がなされています。もっとも、Kwoka教授も消費者厚生基準を批判しているわけではないです。
E 緩い反トラストが、経済的不平等を産んだのか?
反トラスト法の適用が弱いために、反競争的な合併、独占的な行為、その他の排除的・癒着的な行為が盛んに行われていると言われています。 そして、そのことが その結果、企業の株主や経営者に富を集中させ、社会経済的に低いレベルの人々から富を奪うことになった。 Hipster Antitrust運動の多くの支持者は、反トラストの分析に経済的不平等への影響などの非行動的な特定の要素を考慮すべきであると提案している。実際、独占禁止法の歴史には、企業の目標が経済的福祉よりもかなり広い範囲で考えられていた重要な時期が含まれていたのは、上述のとおりです。
これについては、種々の研究をあげて、反トラストの執行を増やすことによって不平等に影響を与えることはできこいこと、そのような執行を増やすべきという主張が、未熟で、潜在的に誤導であるとこを論じています。
2 実証的証拠 不平等は、本当に拡大しているのか
これについては、証拠としては、拡大していてもほんのわずかであること、反トラストの執行と不平等との間に関係はあるのかを議論することは有意義であることがふれられています。
3 反トラストの執行は、不平等に影響をあたえるのか
これについては、司法省の執行案件と所得5分位の人の平均消費支出と所得1分位の人の消費支出を比較しています。統計的に有意であるものは、なかったことなどが論じられています。
F 垂直的統合の禁止は、消費者厚生を向上させるのか
ヒップスター派の論客は、垂直的統合の禁止を主張しています。例えば、AT&Aは、タイムワーナーのようなコンテントプロバイダーを合併してはならないというのです。アマゾンは、市場の運営者であるのと、市場における競争者であることをかねてはいけないとするのです。これについては、以下のように考えることができるとします。
1 垂直統合を禁止することが、消費者厚生を改善するという実証的な証拠は、あるのか(Does the Empirical Evidence Support the Claim that a Ban on Vertical Integration Would Make Consumers Better Off?)
要するに、各著者(高橋-Francine Lafontaine and Margaret Slade, Luke Froeb,Daniel O’Brienを指す)は、垂直統合が競争を阻害するかもしれないというよく知られた理論的な結果を 垂直統合は競争を阻害する可能性があるというよく知られた理論的な結果を受け入れているが、各研究では、垂直統合は実際には圧倒的に競争を促進するものであるとしている。としています。
G ゆるやかな反トラストは、買手独占(monopsony)力を強める結果を有するか
Hipster Antitrust運動から生まれたいくつかの最近の研究は、労働者が国民所得に占める割合の減少に関連して、産業の集中の役割にも焦点を当てている。これらの研究では、製品市場の集中度が高まると、業界内での雇用移動の機会が制限され、最大手企業が買手独占力を行使できるようになるとしています。しかしながら、これは、労働市場における既存の独占禁止法の施行を軽視し、曖昧な理論と経験に頼り、他の説明変数を無視しているため、独占禁止法の拡大を正当化することができない、とされています。
ここで挙げられた労働市場に対する介入としてアドビ事件やルーカスフィルム事件(United States v. Lucasfilm Ltd., Case No. 1:10-cv-02220 (D.D.C. Dec. 21, 2010); U.S. v.
Adobe, et al (U.S.D.C D.C. 2010), case no-/:10CV-01629),)(引き抜き防止協定に関する事件)があります。現代の反トラストが労働市場を無視しているというのは誤りとなります。
また、この主張に対しては、そもそも、買手独占力が増大しているというのは、明らかではないということです。労働分配率の低下をもって、買手独占力が増大しているとされるが、労働分配率の低下には種々の原因をかんがえうる。反トラスト法の緩さは、ひとつの仮説でしかない。
さらに、買手独占力が増大しているとしても、証拠によっては、反トラストの執行に注目した消費者厚生は、その変化において重要な役割を果たしているとはいえないとされています。
ということで、経済学的な証拠については、
ヒップスター反トラストムーブメントは、一連の挑発的な政策提案を行ってきました。 これらの提案の実証的な裏付けには、経済学者による重要で興味深い研究が含まれており、時には、興味深い情報を明らかにし、重要な問題を提起しています。 しかし、利用可能な経験的証拠とヒップスター反トラスト運動の主要な提案との間の関連性は、せいぜい希薄です。
3部 消費者厚生基準の利点
この点については、消費者厚生基準は、近代以前に独占禁止法を支配していた、複数の、そしてしばしば矛盾する、曖昧な社会的・政治的目標に代わる、首尾一貫した、実行可能で客観的な枠組みを提供します。さらに
とされています。
そして、経済学を執行のツールとしており、短期的な価格効果に対する注目を超越したもので、堅固で、市場要因を精査します。
具体的には、
A. 反トラスト法の一貫性のある枠組みの構築
これは、消費者福祉基準は、独占禁止法の結果を現代の経済学にしっかりと結びつけることで、消費者に損害を与える可能性のある行為を特定するための、客観的で証拠に基づく枠組みを構築した、ということです。具体的には、さらに
「誤り-コストの枠組(error-cost framework )」というのは、(Error Costs in Digital Markets)によると
エラーコストフレームワークの目的は、規制規則、執行決定、および司法結果が、(1)有益な行為の誤った非難と抑止(「偽陽性」または「タイプIエラー」)(2) 有害な行為に対する誤った許容や抑止力の不足(「偽陰性」または「タイプ II エラー」) (3) 制度の管理コスト(規則や司法判断の作成・執行コスト、意思決定に関連する情報や証拠を入手・評価するコスト、コンプライアンスのコストなど)、の期待されるコストを最小化するようにすることである。
として、垂直的制限のうち、経済学的に消費者厚生の促進の効果がある類型について、合理の原則になったことを述べています。
B 独占禁止法の成果を現代経済の学習と証拠に結びつける
独占禁止法は、競争上の弊害の可能性を判断するために、例えば、上向きの価格圧力、クリティカルロス分析、合併シミュレーション、価格-コストテストなど、幅広い経済的手段を用います。 これらのツールを使用する際、独占禁止法は、価格、マージン、差し押さえの可能性、ライバルに課せられるコスト、参入や再配置の能力、コスト削減やその他の期待される相乗効果、戦略計画やその他の内部文書、証言など、複数のタイプの経済的証拠を検証します。これらのツールや証拠を通じて、裁判所や執行官は、問題となっている行為が競合他社に損害を与えるような競争過程の弊害をもたらすかどうか、また、相殺されるような効率性の正当性があるかどうかを評価することができます。
そして、ヒップスター派のいう「公衆の利益」基準や「秘密利益」基準については、
これらの批判者は、消費者福祉モデルと理由規定の枠組みに対する理解が著しく欠如している。実際には、独占禁止法の分析における消費者福祉アプローチは、品質、多様性、革新性などの様々な要素をすでに考慮しています。
と批判しています。また、消費者厚生分析においては、イノベーションも評価される。
C 海外における保護主義を制限する客観的な枠組を構築する
世界中の法域、特に新興の競争体制では、富の分配、漠然とした公平性の概念、外国の競争相手から国内産業を保護することなど、より広範な非経済的な目的のために、反トラスト法の施行を利用しようとする大きな圧力があります。 競争分析における多次元的な基準の使用は、外国の政権が、最終的に競争を害し、米国企業に対する可能性を含む保護課題を促進する執行政策を追求する機会を生み出します。I
4部 消費者厚生基準の廃棄とヒップスター反トラスト活動の迎合の危険性
反トラスト法・政策への現代的なアプローチに反対する人たちは、消費者福祉基準や、過去50年近くにわたり、競争を促進するための最善の方法について、反トラストの実務家、執行者、学者の間で活発な議論を経て構築されたコンセンサスを完全に解体することを求めている。
これについては、
A 消費者厚生基準を支離滅裂で一貫性のないアプローチで代替しようとする
これについては
「公共の利益」または「市民の利益」のアプローチの下では、消費者への価格を引き下げ、生産量を増加させ、またはイノベーションを促進する取引が、明らかに競争が存在するにもかかわらず市場に任意の数の競合企業を残すことができない、またはより効率的ではあるが統合されたサプライチェーンを構築することができないなど、他の多くの曖昧な要素を満たすことができないために、独占禁止法の下で禁止される可能性があります。 さらに劇的なことには、裁判所が、所得の平等など多次元的な基準の他の側面を満たすために、そのような消費者の損害を許容できると結論づけた場合、価格を上昇させ、生産量を減少させ、イノベーションを阻害するような取引であっても、必ずしも反トラスト法に抵触しないという結果になるかもしれません。
B 企業厚生、レントシーキング、政治的影響力の奨励
曖昧な新基準を代用することで、ヒップスター反トラストの提案者は、皮肉にも、強力な大企業が反トラスト機関の意思決定プロセスに不当な影響力を行使する能力を与えることになります。 さらに、枠組みがない初期の期間に、反トラスト機関の執行実務に影響を与えることが認められるとさらに、枠組みが存在しない初期の期間に、政府機関の執行実務に影響を与えることを認めてしまうと、そのような操作が継続する余地を残さないようなガイドラインを確立することは困難になるでしょう。
C 連邦通信委員会における公的利益基準の失敗の経験
FCCは、合併が「価格の上昇、生産量の減少、製品の品質や種類の減少、製品の撤退や導入の遅延、技術革新の低下」をもたらすかどうかを審査するが、これらはすべて、合併が消費者の福祉を向上させるか、減少させるかを測定するために用いられる指標であるが、FCCは、「公益、利便性、必要性」に資するかどうかだけに基づいて、その権限内の取引を審査する無制限の権限を有する。 公益基準の輪郭を明確にした枠組みがないため、FCCは、特定のケースで望むほぼすべての結果を得るために、多次元的な一連の要素を評価するために公益を広く適用することができる。 このようにして、公益基準は、合併を考えている企業に、取引が異議を唱えられるのか承認されるのかを予測できないままにしているため、必然的に一部の取引を妨げることになる。
となり、FCCは、複数の項目を分析し、経済的、非経済的なさまざまな要因を評価することができる広い公益基準を設けてきたが、これによりFCCがその使命を効果的に追求する能力が著しく低下したとされています。
5部 結論
結論については、そのまま訳してみます。
この50年の間に、反トラスト法は、アメリカの競争力と社会的福利に積極的に貢献する、首尾一貫した原則的で実行可能な法体系に発展しました。 しかし、これは常にそうだったわけではありません。反トラストは、良いことよりも悪いことの方が多かった時代もありました。近代以前の反トラスト法は、大衆的な概念を追求した混乱した教義を採用しており、アメリカの消費者を犠牲にして社会的・政治的な目標を推進するような矛盾した結果を招くことが多かった。 しかし、法律家、学者、経済学者、政府の執行者など、様々な立場の人々の間で議論された結果、反トラスト法は、消費者の福利に焦点を当て、独占禁止法の分析を経済的な学習や証拠に結びつける、扱いやすい基準を採用しました。 このパラダイムは現在、反トラスト法執行におけるポピュリズムの復活を求める新たな声によって攻撃を受けています。 ヒップスター反トラスト活動の台頭は、競争を害する経済的・政治的権力の統合に対する不満の数々を前進させるために、現代経済学の発展による進歩を明確に否定する反経済的な反トラスト法アプローチを提唱している。ヒップスター・反トラストの提案者は、消費者に害を与え、非効率的な企業を支えていた体制に向かって、反トラスト法の施行を過去にさかのぼって行うと脅しています。 私たちは、反トラストに対する証拠に基づくアプローチの基盤は強固であり、優れたパフォーマンスによって、消費者福祉基準はこのテストを乗り切り、反トラストの基準としての正当な地位を維持すると信じている。
以上が、Joshua D. Wright ほか”パラドックスへの葬送曲 ヒップスター・反トラストの疑わしい台頭と必然的な没落になります。
私にとっては、カーン氏の論文よりも数段説得力があるように思います。
ちなみに、ヒップスター批判の論文としては、そのほかには、Hipster Antitrust: New Bottles, Same Old W(h)ine? などがあります。
欧州からの観点からだと“Hipster Antitrust, the European Way?” があります。