デジタル・フォレンジックスの罠

デジタル・フォレンジックスという考え方の基本的なところについては一連の投稿で明らかになったところでしょう。

私が、社会安全研究財団から、2003年に調査の資金援助を得てコンピュータ法科学といった概念の研究を始めていた時から、10年以上がすぎて、きわめて広い分野に適用されてきたし、社会においても、重要性が実感されるようになってきたというようにおもえます。

デジタル・フォレンジックスの考え方は、きわめて重要で、法律家にとっては、これから21世紀の法実務を考える上で、これを軽視することはできないものになってきているでしょうし、重要性は増すばかりでしょう。

しかしながら、この考え方については、留意すべき必要があるいくつかのことがあるかと思います。

事実認定の総合性

これは、事実認定という行為は、単にデジタル証拠のみからなされるものではないということです。これは、法律家にとっては、自明のことなのですが、意外に、技術を専門にする人が陥りやすい点におもえます。

技術的に、改竄がなしうる可能性が存在したとしても、それが、現実になされたかどうか、その事実は、技術的に明らかにできるのであれば、それが一番いいのでしょう。しかしながら、誰も改竄すべき動機もなく、また、改竄する機会もなかったということであれば、それは、改竄されたことはないだろうと考えてもおかしくはない、ということです。

技術的に、こういうことが起こりうる、ということと、社会的にそれが起こりうるということは別です。もし、その例外的なことをなすのに膨大な時間と労力がかかるのであれば、それをなしうるのは、きわめて例外的になります。容易に発見しうるのでしょう。そのような現実から、問題となる事象を囲い込んでしまうというのも実際のあり方になります。

バズワードの罠

また、IT業界特有のバズワードの罠というのもあるかもしれません。バズワードというのは、いわば、新たなトレンドを示す流行語のようなものですが、往々にして中身のない空虚な用語を指すものとして用いられることがあります。特に、フォレンジックであるとか、クラウドという用語は、その内実がなかなか理解が困難であるために、必要以上のことがらをなしうるものとされるときがあったり、また、具体的な専門的な検証を経ないで、商品等の宣伝・売り込み等に利用されることがあります。このように利用された言葉は、本当は、有していた重要な意味を訴えかける力を失ってしまう懸念があります。

法制度とのリンク

フォレンジックという考え方自体が、法的な証拠という考え方と密接な関係があるので、議論の背景となる国の証拠にかんする法制度によって、議論が異なってくるということも大きな留意点が存在するということもいえるかもしれないでしょう。

特にわが国で議論を考えるときに、アメリカを中心に発展してきているデジタル・フォレンジックスという考え方が、法制度の違いによって、重要な影響を受けうるというのは、大事な視点であるようように思われます。

この点に留意しないと米国においてフォレンジックをもちいたビジネスが、きわめて成長しているので、わが国においても、将来、同様の発展をみることができるだろうと安易に判断しかねないことになってしまいます。民事事件における証拠能力の無制限と証明力の自由評価という枠組みと陪審制度の事実認定のルールとの違いを前提にしないと、今後の動向についての予測ができなくなることは、注意すべきです。

バズワードの罠と、法制度のリンクについての無知が価値なってしまうと、平気で、(民事事件で)デジタル証拠の証拠能力は認められるのかが問題です、といってしまったり、証拠が別の案件で流用されると大変ですよと、あたかも幽霊がでるぞと脅されたりすることがおきてしまいます。

これらの文句は、実際に、昔に話されていた言葉なのですが、知識も志もない営業トークということができるでしょう。